2013年5月21日火曜日

民法の透明化 事情変更の法理

事情変更の法理については、規定を置くことについて弁護士からの反対意見が多い。
事情変更の法理とは、契約の締結後に、その契約の前提となっていた事情に変更が生じた場合において、契約の解除(改訂まで認めるかについてはさらに意見が別れる)を認めるというものである。解除の場合は、請求をされたときに抗弁として、改訂の場合には、防御としてだけでなく、改訂を求める側から請求をすることも考えられる。

規定を置くことの批判の理由として、この法理は極めて例外的なケースにのみ適用されるものであるのに、明文規定を置くことで濫用されるおそれがある、また規定を置くことでこの法理の適用が認められやすくなれば、契約の拘束力を弱めることになる、改訂を認める場合には裁判所が契約内容の変更を自由にできるようになる、ということが考えられる。
その他、規定を置くことで裁判所の柔軟な判断を阻害する、ということも挙げられているが、これは規定を置く場合よりももっと自由に裁判所に契約内容の改訂を認めるべきだ、という考え方で、他の批判理由が法理を適用して契約の内容を変更することに慎重であるべきとしているのとは反対の立場からの批判と思われる。

批判に対する内田先生の反論は以下のようなものだった。
1 事情変更の法理を適用する場面は、契約時には想定されていなかった事態が生じている場面であり、契約において合意でそのような事態に対応した内容を定めることを期待できない。契約の拘束力をそのような事態においてまで認めるのが妥当か。
2 法理の存在は法律家は知っているのであり、今でも使えるのであるから、規定を置いたから濫用されるというものではない。濫用をいう人は、法律家でない人が本人訴訟をする場合に、規定を見て初めてこの法理の存在を知って使うのがいけないと言っているのではないか、そうであれば民法の透明化、市民にわかりやすい民法という点から規定はおくべきではないか。
3 規定がない方が柔軟な処理ができるというのは、裁判官に対する絶大な信頼にもとづいたものだ。また、日本民法を準拠法とするとの合意のもとで国際仲裁をした場合、日本の裁判官以外の人が仲裁人となるが、そのときにこの法理を使えるのか
4 大審院判例でこの法理にもとづいて契約の解除を認めたものがある、最高裁平成9年7月1日判決は、この法理の要件を述べているので、ルールが未確立ということはない。
5 比較法的には、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ロシア、中国最高人民法院司法解釈、台湾、アメリカ(UCC 第二リステイトメント) 等で認められている。なお、中国最高人民法院司法解釈においては、経済変動によるもの(商業上のリスク)を適用から除いている。

さて、どう考えるのか。
 濫用のおそれ、というのは、弁護士(または当事者)ではなく、規定を置くことで裁判官がこの法理を使うことの心理的なハードルが低くなる、ということではないだろうか。他方、裁判所に契約内容をお任せする、として取り引き慣行にそれほど通じていない裁判所が妥当な契約内容を策定できるのだろうか。
 解除については、改正によって、当事者の帰責事由の有無ではなく、契約の拘束力からの解放の必要性の有無で判断することになるとすると、事情変更があったような場合は、この法理があろうとなかろうとたいして変わらないのではないかと思われる。そうすると、裁判所が契約の内容を自由に変更することを認める、ということにこの規定を置く意味があることになる。
 解除だけではあまり意味のない規定となり、改訂を認めると裁判所に過度な負担を負わせることになるうえ、裁判所にそれをする能力があるか、ということであれば、私は、規定を置く必要はないと思う。





2013年5月17日金曜日

民法改正とCISG

 今回の民法改正に対する批判の中に、日本の民法なのに国際潮流を気にする必要があるのか、というものがある。
 その一方で、日本国内での売買の対象物に欠陥があり、その取り引き責任を順に遡れば数回で国際取り引きにたどり着く、このときに、取り引きに関する規律が国内取り引きと国際取り引きで大きな違いがあってもよいのか、との問題提起もある。
 衣類のラベルを見るとほとんど中国、ベトナム製、機械になると、各部品の製造地、組立地などかなり多国籍になるのではないだろうか。
 学生のころ法哲学の授業で、私達はなにも知らない、鉛筆1本がどのようにして作られているかさえ知らない、ということを聞いた。そのときは山で木が育ち、鉛筆の芯の材料を掘削する様子を想像してみたのだが、日本の山を想像していた私は何も知らなかったのだ。
 日本の民法を作るときに外国の法律を真似る必要はない。ただ、取り引きをする人にとって使い勝手のよいもの、優れているものを目指すべきだ。その考慮要素の一つに外国法があっても批判されるべきではないのではないだろうか。
 
 

内田貴先生の講演(2013年5月15日)について1

 5月15日、大阪弁護士会で内田貴先生による民法(債権関係)改正についての講演会が開催された。民法改正の中間試案についての説明である。

 今回取り上げられたテーマは、民法の現代化にかかるもの(消滅時効、法定利率、債務不履行による損害賠償ー金銭債務の特則、保証、信義則等の適用にあたっての考慮要素、約款)、及びわかりやすい民法とするためのもの(暴利行為、錯誤、損害賠償の範囲、契約交渉の不当破棄、契約締結過程の情報提供義務、事情変更の法理、不安の抗弁権)と多岐にわたった。
 
 消滅時効の現代化とは、職業別の短期消滅時効の規定が現時点で合理性を欠いているので廃止する、消滅時効10年を短期化する、ということである。
 職業別の短期消滅時効の廃止についてはあまり異論はないと思われるが、民事の消滅時効10年は現代社会にそぐわないほど短いのだろうか?
 個人は弁済の証拠を10年も保管していない、支払った後10年も領収書を保管しているか、と仰るのだが、企業が大量の書類を長期間保管するのが負担だとしても、個人は大切な書類は捨てないし、捨てていなければ持っていることが多いと思う。誰のための現代化だろう?
  時効の中断の用語を更新に変更することは、わかりやすい民法の方に分類される事項だろう。
  時効の停止事由に、協議を行うとの書面による合意があったときは、合意から1年、協議の拒絶が書面で通知されてから6ヶ月は時効が完成しない、というのが加わった。
  不法行為の消滅時効の長期20年を除斥期間ではなく時効とする。20年を除斥期間とした最高裁判例を読んだときの衝撃は20年ほどたった今でも覚えている。除斥期間の壁にはばまれてきたのは戦争による被害の補償を求める裁判がほとんどだったのではないだろうか。今更、との感慨はあるが、今からでも立法によってきちんと手当をしておくことには賛成する。

 法定利率の現代化とは、現在の民事法定利率5%が高いので引き下げる、というものである。銀行に預金するより 有利な率なので、訴訟の引き伸ばしがはかられている、と仰る。私の知るかぎり、遅延損害金を多く手にするために訴訟を引き伸ばした例はない。周囲の弁護士に聞いてもそんなことは見たことがない、という答えなのだが、内田先生は弁護士の中には遅延損害金のために訴訟が引き伸ばされている例を知っているという人がいた、とのこと。それが本当だとしても、そんな稀なケースのために法律を改正するとは思えない。おそらく別の理由があるのだろう。

 金銭債務の特則の現代化とは、法定利率を超えた損害を求められるようにすることと、不可抗力免責を認める、ということである。法定利率を引き下げることへの手当と、大規模な送金障害への対応だろう。メガバンクの送金システムのプログラムの不具合というのも不可抗力となって、着金が遅れたことの損害は債権者が負担するのだろうか?